訴訟アレルギーに陥った時

そのような事情も知らない世間では、原告が子供の死によって、あたかもすでにお金をもらったのが許せないといったかのようなトーンの非難が激しく沸き起こったのでした。この事件は、弁護士をけじめ裁判に関わる者にとっては、極めてショッキングな事件でした。

法務省は、再びこのような遺憾な事態を招くことのないよう国民一般に対して広く訴える、という異例の見解を出したほどです(法務省見解一九八三年四月八日。なお、この事件の詳細については星野英一編『隣人訴訟と法の役割』有斐閣を参照)。

権利を行使するのには大変な苦労が要ります。隣人訴訟で原告が勝訴判決を取るまでにどんな苦労をしたか、それまでの経緯、複雑な事情などを何も理解せず、いや理解しようともせずに非難を浴びせた人々は、無責任というほかありません。

批判を向ける方向さえ理解できない人々がいかに多かったかも問題ですが、これこそ、我が国の前近代的な「訴訟アレルギー」がもたらした悲劇ともいうべき事件だったのではないでしょうか。今となっては昔のことなのだから、もう同じような悲劇は起きない、と断言できるでしょうか。

確かに、司法を取り巻く空気はかなり変わったとは思いますが、ベテランの法律家ともなれば、いまだにあの隣人訴訟騒ぎが忘れられません。だから、ああいうことにならないように仕事をしているような感じさえします。最近の裁判所も、そこのところを踏まえて判決してくれているのかもしれません。

しかし、そういう認識で止まっていていいのかが問題です。そこで、こうした悲劇を生み出す背景として、「我が国の司法文化」の問題をまず議論しておく必要があります。