「ヴェトナム民主共和国」

東アジア(ASEAN+4=中国、韓国、日本にインドを加えた四か国)の文脈では、それだけではあまり妥当性があるとは認識していない。「中間層が民主化の母体になるかどうか」という議論を背景として、それにもっと異なった角度や要素を添加して政治体制移行の筋道を練るほうが、より実現可能性が高くなると考える。政治体制の構想に関しては、中国になくてヴェトナムにだけあるものがある。

ホーチミンが三〇年に及ぶ海外生活で血肉化し、「ヴェトナム民主共和国」として国家体制に具現化した「共和国精神」である。東アジア(ASEAN+4)の諸国を見渡しても、「共和国」を名称に付ける国は多い。インド(インド共和国)、ラオスラオス人民民主共和国)、インドネシアインドネシア共和国)、シンガポールシンガポール共和国)、フィリピン(フィリピン共和国)、ヴェトナム(ヴェトナム社会主義共和国)、中国(中華人民共和国)、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)がすべて「共和国」を名乗っている。

しかし、その内実はどうであろうか。東アジアにおいて、「共和国」とは、フランスや米国の例を引きながら、王様の首を切って王政を廃止して、「人民の、人民による、人民のための」政治体制を作ること、民衆が主人公の政治体制というのが模範的な理解の仕方であろう。そこには、共和国を支える「個人」という新しい人間観が前提として必要であることまでは考察が及んでこなかった。民主主義理論は豊饒で、あまりの単純化は誤解を招く恐れがあるが、あえて単純化して言えば、ルールの方法としての「民主主義」は、孫文三民主義を例に取るまでもなく、東アジアでも人口に檜炎している。だが、「共和国精神」は正確には受容されていないのが現状であろう。

訴訟アレルギーに陥った時

そのような事情も知らない世間では、原告が子供の死によって、あたかもすでにお金をもらったのが許せないといったかのようなトーンの非難が激しく沸き起こったのでした。この事件は、弁護士をけじめ裁判に関わる者にとっては、極めてショッキングな事件でした。

法務省は、再びこのような遺憾な事態を招くことのないよう国民一般に対して広く訴える、という異例の見解を出したほどです(法務省見解一九八三年四月八日。なお、この事件の詳細については星野英一編『隣人訴訟と法の役割』有斐閣を参照)。

権利を行使するのには大変な苦労が要ります。隣人訴訟で原告が勝訴判決を取るまでにどんな苦労をしたか、それまでの経緯、複雑な事情などを何も理解せず、いや理解しようともせずに非難を浴びせた人々は、無責任というほかありません。

批判を向ける方向さえ理解できない人々がいかに多かったかも問題ですが、これこそ、我が国の前近代的な「訴訟アレルギー」がもたらした悲劇ともいうべき事件だったのではないでしょうか。今となっては昔のことなのだから、もう同じような悲劇は起きない、と断言できるでしょうか。

確かに、司法を取り巻く空気はかなり変わったとは思いますが、ベテランの法律家ともなれば、いまだにあの隣人訴訟騒ぎが忘れられません。だから、ああいうことにならないように仕事をしているような感じさえします。最近の裁判所も、そこのところを踏まえて判決してくれているのかもしれません。

しかし、そういう認識で止まっていていいのかが問題です。そこで、こうした悲劇を生み出す背景として、「我が国の司法文化」の問題をまず議論しておく必要があります。

ボトムアップが支える「継続の論理」

これは何も霞が関の官僚ばかりではない。私たちの市町村や区で、バブル時代に計画した豪華な文化ホールを、高齢者に支給していたオムツを半分に削ってまで着工しようとしていないだろうか。バブルが崩壊しても、市民のつましい生活と不釣り合トな豪華庁舎が全国あちこちで建設されている。中央官庁から市町村し区まで、官僚はいったん決めてしまうと見直しなどまったく念頭にない。

日本の役所は省−局―課−係といった縦系列になっている。重要なことは、官庁内部の政策決定プロセスが、上からトップダウンで降りてくるというよりは、はるかに強く下、つまり係から課−局−省へとボトムアップになっているということである。ボトムアップで、物事を決めていくプロセスは慎重であり、民主的だというメリットも多い。決定したときには正しいのであり、変更されない限り正しいのであり、したがって変更しないので正しいという「継続性の論理」が組織に組み込まれているからである。また、ボトムアップ構造は、責任を拡散させ、修正の力学を働きにくくしている。

いったん決定したことを修正したり中止したりすることは、前の決定が誤っていたことを認める、もっと端的にいえば、この決定に関与した官僚の責任を問うことになる。したがって、計画はどんなことがあろうと継続されなければならない。

継続の論理の中心にいるのが、建設官僚のなかでも、とくに実際の公共事業を取り仕切る技官たちで、その力は絶大である。ほかの省庁にはないことだが、建設事務次官には事務系と技術系の高級(キャリア)官僚が交代で就任するのが慣例になっている。農水省でも、土地改良事業を扱う技官たちは省内で「独立王国」を築き、「治外法権」になっている。

補助金については、中央集権のテコになっていること、地方自治体の地域事情に応じた自由な行政を妨げていること、政治家の介入を招いていることなど、ほぼ論議しつくされているので、三点だけつけ加えたい。

米韓同盟解消への懸念

南北首脳会談後の記者会見で、金大中大統領は在韓米軍を「国連平和維持軍」に替える構想を金正日総書記に伝えた、と明らかにした。アメリカのワシントンでは、この金大中大統領の発言に、国防関係者らが驚愕した。それは「米韓同盟の解消」を意味するからであった。

「国連平和維持軍」への変更は、アメリカに「中立」であることを要求する。これは、同盟解消以外の何物でもない。また、アメリカ軍は「平和維持軍」のために訓練され、海外に派遣されているわけではない。あくまでも、地域防衛とアメリカの世界戦略のために存在しているのである。

南北首脳会談の前後に、アメリカはオルブライト国務長官を含め、多くの高官を韓国に派遣した。金大中大統領が、在韓米軍撤退の取引に応じるのではないか、と恐れたのである。在韓米軍の撤退は、米韓同盟の解消につながりかねない問題であるからだ。

南北首脳会談が残した歴史的課題は「米韓同盟は維持できるのか」という問題であった。韓国内には、朝鮮半島地政学的位置や過去の中国との関係から。在韓米軍永久駐留を主張する声も聞かれるが、多数意見ではない。北朝鮮の公式の主張は、一貫して在韓米軍の撤退であった。

この北朝鮮の在韓米軍撤退要求の目的は、在韓米軍が撤退すれば北朝鮮としては韓国内で革命の気運を高め必要ならば軍事介入できるからである、と解釈されてきた。

それもあるだろうが、北朝鮮の理論からすれば外国の軍隊が駐留する国家は「独立国家」ではない。この点は、北朝鮮が韓国に対し国家としての「正統性」と「倫理的優越」を主張できる最大の根拠なのである。

韓国内での反米と在韓米軍撤退運動の高まりは、アメリカを不安にさせた。インターネットのホームページに、反米や在韓米軍撤退運動を掲げるものが急増した。南北首脳会談後の韓国の変化に、アメリカは金正日総書記の対南工作が成功したのではないか、との危惧を募らせたのであった。

金大中大統領はアメリカの冷たい対応に気付いたのか、その後は言葉を変えた。アメリカのワシントン・ポスト紙との会見(二〇〇〇年八月三〇日)で「金正日総書記も、在韓米軍の継続駐留に同意した」と明らかにした。

これは、アメリカの懸念に配慮した発言修正であろう。後で説明するが、北朝鮮が「在韓米軍は統一の過渡期においては駐留してもいい」「韓国が締結したすべての条約は遵守する」などの立場を一九九〇年頃からアメリカに伝えてきたのも事実である。だが、アメリカはこの政策の真意を測りかねていた。

首脳会談後の南北朝鮮は、北朝鮮が「米韓同盟の解消」を狙い、韓国は「北朝鮮自由民主主義化」を意図する目に見えない戦いを展開しているのである。

金融機関の腐敗の始まり

かつてレーガン大統領時代に、1980年、OPEC原油価額を1バーレル104ドルに引き上げた。このためにアメリカ国内の石油・ガス価額もまた高騰し、その探査・採掘フィーバーが起こった。探査にはもともと投機性がある。その曖昧でリスクの多い事業に対して債権を発行し、それに貸借保証書をつけて上位銀行に売りつけるという取り引きが始まった。1982年、原油価額がピークを過ぎたことでフィーバーは鎮静し、リスクが表面化した。

その最大の仕掛け人であるペンスクウェア銀行は、1982年に倒産し、そこから巨額の曖昧なローンを買い付けていたコンチネンタル・イリノイ銀行も危機に陥り、1984年5月に取り付け騒ぎが起こった。7月、連邦預金保険公社は、そのローンのうち最悪のものを35億ドルで買い、さらに10億ドルをつぎ込んだ。そうでもしなければ、数百の金融機関が倒産する恐れがあったと言われる。

金融機関の腐敗はそれでも収まらなかった。アメリカの預貯金取扱機関は、商業銀行と貯蓄金融機関との2つに分類されるが、後者の1つに貯蓄貸付組合がある。1980年代半ばで4,000弱あったが、住宅取得のために組合員から金を集めて設立されたものである。この多くの組合の経営が破綻した。これも石油・ガスに関係がある。ただしその暴騰ではなく、1986年以降の暴落である。そのために1980年代末に、まずテキサス州で不動産市況が落ち込んだ。

貯蓄貸付組合を傘下におさめていた不動産業者が、組合の資金を利用してビルや土地を買い込み、不動産投機にも手を出したりしたために、乱脈経営を続けていた多くの組合が苦境に陥った。さらに不動産事業のための税法上の優遇措置が1988年までに廃止となったので、貯蓄貸付組合の経営破綻は表面化した。

預金額の払い戻しを保証する連邦貯蓄貸付保険公社も、相次ぐ貯蓄貸付組合の破産によって保険基金の残高が不足し、債務超過に陥った。1989年には債務超過額は800億ドルにも達すると予想される事態となった。

アクア査定 参考価格情報

巨額の資金が瞬時にして動く

巨額の資金が瞬時にして電子的速度で動く性格の信頼性に立脚した市場であり、あらゆるリスクが渦巻いているといってよい。しかもそのリスクには特定国の政府や中央銀行、国家連合や国際金融機関なりの指導・監督・チェックが働くことのない自由な、換言すれば無国籍的無政府的な世界でもある。もしひとつでもユーロ市場参加金融機関が失策を犯せば、市場全体の緊密な連環と信頼と資金受渡し機構が一挙に破砕しうる組織体である。

ヘルシュタット銀行の経験は、そのリスクが現実に発生した場合のユーロ市場の脆弱性を露呈した事件であった。しかし、当時まだユーロ市場の規模が現在のわずか10パーセントほどの三、九〇〇億ドルほどの小世界であったころの話である。現代のように三兆ドルを超えた世界にあって、もし、同様のケースが発生したらどうなっていたであろうか。その危機をわずかに予測させるケースが起きている。

アジアの中間所得層

新興国などで年間可処分所得(税金を引いたあとの所得)が5000ドルから3万5000ドルの問に入る人のことを、中間所得層と呼ぶそうだ。日本円にして50万円から350万円ぐらいの間だろう。途上国や新興国の物価が安いことを考えれば妥当な数字だ。今アジアに、この中間所得層に入る人はなんと8億8000万人もいるというのだ(2009年時点)。しかも、この数字はまだ急速に増えているという。ここに日本企業にとっての重要な市場がある。アジアの中間所得層をどう取り込んでいくのかは、日本企業の、ひいては日本経済の将来の命運を握っているといっても過言ではない。

所得水準と消費パターンの間には顕著な相関関係が見られる。よく知られているのは自動車のケースで、所得がある水準にまで到達すると多くの人が自動車の購入を検討し始める。今の中国がその典型的な存在で、台数ベースでは米国を抜いて世界最大の新車販売台数を誇る国となってしまった。自動車だけでなく、家電製品、化粧品、ファッション製品、住宅など、ありとあらゆる消費財が所得水準の動きに敏感に反応するのだ。かつての日本でも「三種の神器」や「新三種の神器」などといって、所得上昇に伴う大消費ブームのことを語ったものだが、規模でいえばそれをはるかに超えた大消費ブームがアジアで起ころうとしているのだ。

私のところに来ていた中国からの留学生がいっていた。彼が中学生か高校生のころ、日本のブランドは多くの中国の若者にとってあこがれの存在であった。彼も一生懸命にお金をためてソニーウォークマンか何かの製品を買ったときの興奮は今でも忘れられないという。今は所得が低くても、日々所得が上昇していく人たちにとっては、一つ上のランクの商品はあこがれの存在であり、いつかは買いたいと考える対象でもある。グローバル競争の中で、日本の製品のブランドイメージは下がったとはいえ、まだアジアの人たちにとっては日本のブランドの多くはあこがれの存在であるはずだ。

それも高嶺の花というのではなく、もう少しすれば乎が届くようなところにある存在なのだ。日本製品のこの微妙なポジションを利用しない手はない。しかも、今この市場に手をつけないかぎりは、この大きなチャンスを逸することになる。中国での最近の動きを見ると、日本の消費財メーカーの中にもこうした機会を利用しようとする企業が増えていることがわかる。ユニクロ資生堂、ユニーチャームなどの動きはさまざま報じられている。現地で乳製品を展開し始めたアサヒビールの例も面白い。パナソニックなども、中国市場に合った商品開発に積極的なようだ。イオン、セブン&アイーホールディングスなどの小売業も動き始めている。より多くの企業がアジアの中間所得層の市場に目を向けることを期待している。

前項で、アジアの中間所得層が8億8000万人もいるということを書いた。この点は日本の産業界の将来展望を考えるうえでもきわめて重要なので、今回この問題を別の角度から考えてみることにする。中間所得層とは、年間の可処分所得が5000ドルから3万5000ドル、日本円にしておおよそ50万円から350万円の間に入る人のことだ。この中間所得層の人数は、95年には2億人弱しかいなかったことを考えると、この増え方は大変なものである。ちなみに8億8000万人の中身を見ると、中国をはじめとして、インド、東南アジア諸国連合ASEAN)諸国など、アジア全域に幅広く広がっていることがわかる。