キャッチ・アップのダイナミズム

長嶋氏が巨人軍の現役選手であったのは一九五八年から一九七四年までの一七年間であったが、この間は奇しくも日本経済の驚異的な高度経済成長時代にほぼピッタリ一致するのである。ちなみに、この長嶋時代の年平均実質経済成長率を計算すると九・三%となる。それ以前は平均七%ていどであり、長嶋氏がやめてからは四%以下になるのである。さらに名目成長率で言えば、長嶋時代にはなんと年平均一五・九%にも達していたのである。

このような急激な経済成長は先進諸国ではまず考えられない。今日では世界を見わたすと中国やアジア諸国の一部でこうしたハイ・ベースの成長が起きている。経済水準の低い国や地域がテイクーオフし、先進国をめざして急速にキャッチーアップする過程でこうした成長が実現する事が多い。日本は第二次大戦前にすでに相当な工業化水準に達していたが、敗戦で一度ドン底に落ちた。しかしその廃墟の中から立ち上って復興と再建を果たし、さらにその勢いに乗ってアメリカなど先進諸国をめざして急速なキャッチーアップをつづける過程でこの驚異的な高度成長を実現したのである。

敗戦後、すべてを失った荒廃の中で、物資や食料の欠乏に苦しみ、貧窮と闘っていた日本人の眼には、アメリカ人の生活は夢のように見えたに違いない。誰もがアメリカに追いつきたい、アメリカ人のような暮しがしてみたいと思ったとしても不思議ではない。今日、日本の近隣の低所得国の人々にとって日本の生活がそのように映っているかもしれない。

つらい苦労にも耐えながら日本に出稼ぎに来る人々を駆りたてている思いには、おそらく当時の日本人のアメリカを見る眼と共通のものがあるかもしれない。私と同世代のある評論家は「泳いでもアメリカに渡りたかった」と当時の若い頃の思いを語っているがその気持は私にもよく判る。人々はアメリカを夢み、アメリカをめざしてガムシャラに働いた。

産業はやがて復興し、経済は成長を加速し、人々の生活は確実に良くなっていった。寒い冬に暖をとるのに、多くの家庭では火鉢やコンロしかなかった。それもまともな石炭や炭ではなくクズ石炭の粉を固めた煉炭という代用物をも使っていた。しかし、人々には一生懸命働けば生活は必ず良くなる、明日は今日よりも、来年は今年より確実に良くなるという希望があった。煉炭火鉢がコタツになり、電気ストーブや石油ストーブになり、やがてクリーンーヒーターに、そして全室暖房になっていった。