メーデーの原点

正規雇用労働者を中心に組織するフリーター全般労組などが05年から始めた「自由と生存のメーデー」は、生活に苦しむ自分たちの声を届けたいとの思いから始まった。「生きさせろ」「めし食わせろ」。

不安定で低賃金の労働をしている若者たちの生々しい訴えが共感を呼び、約200人で始まったデモは昨年、1000人を超える参加があった。全国各地で若者が独自のメーデーに取り組む動きも広がった。

1日だけで状況が劇的に変わるとは思っていない。しかし、「8時間は労働に 8時間は眠りに あとの8時間は我々の自由に」と掲げた第1回メーデーの要求は、今も古くて新しい課題だ。

正社員の過酷な残業を規制することは、仕事の分かち合いにもつながる。人らしい暮らしを営める賃金と、勝手な解雇を許さず労働の尊厳を守る。声を大にして言いたいことはたくさんある。「仲間がいて声を上げることができた」。派遣切りにあった鈴木さんの言葉は、メーデーの原点を教えてくれている。

だが、「100年に1度」の危機の中で迎えるメーデーにしては、開催する労働組合の全国組織には切実さが感じられない。最大組織の連合は「すべての働く者の連帯」というスローガンを掲げ、全労連は「働く者の団結で生活と権利を守り」などとする。全国組織を名乗ってはいないが、全労協も「不安定、低賃金の仲間と連帯し労働組合の団結」を掲げる。それぞれのスローガンは立派だ。けれど、団結や連帯を呼びかけながら、それぞれが独自にメーデーを開くという「分裂」状況は固定化されたままだ。

今年のメーデーが準備される過程を取材しても、各組織が共同開催を模索した状況はうかがえない。連合の中央メーデーは、語源となった5月1日ではなく4月29日で、会場に非正規雇用労働者の相談コーナーを設ける以外は政党や来賓のあいさつがメーン。

集会後のデモもない例年通りのパターンだ。そこには危機的状況の中で多くの労働者を集めて団結を呼びかけ、社会的に労働問題を訴えようという姿勢は感じられない。

1日開催の伝統を守り、デモもする全労連全労協も、連合に対し、より大きな規模でのメーデー開催の働きかけをしていない。それぞれが「自己満足」で終わるべきではない。

組織率は低下を続けて18・1%となる中、メーデーの参加者は毎年減る傾向にある。労働運動に対する考え方の違いはあっても、1年に1度は共に集まって訴える場を設けるべきだ。

100年に1度の危機感を持つならなおさらだろう。組織率が下がった労組がバラバラに行動するのではなく、組合員もそうでない人も、正規も非正規も共に集まり、仕事のことを声を大にして訴える「連帯の場」を作る努力が求められている。