しつけは疲れる

「檻って言葉は半分冗談で使ってるけど、この中だけって範囲を決めて子どもの好き勝手にやらせるのも悪くないと思いますよ。マットは汚れてもすぐに洗えるし、私もゆっくり食事ができる。食のマナーとかいうのはまだ先の話で、今ほとりあえず合理的ならそれでいいかなって感じです」彼女のように、「無理してしつけるのは疲れる」とか、「自然にできるようになるまで待ったほうがいい」という声は少なくない。二六歳の母親は、「子どものしつけのことで、人に口出しされるとムカつく」と話した。「自分の子どもなんだから、自分の好きに育てたい。まわりの反応を気にして、子どもを叱ってばっかりいたら疲れちゃうでしよ。毎日育ててるのは私なんだし、最終的に責任取るのも私。正しくしつけたからって、それで子育てがうまくいくってもんでもないと思いますよ」。

確かに、正しいしつけはむずかしい。周囲の口出しにムカつく気持ちもあるだろう。だが、「しつけたところでどうなるものでもない」といった開き直りが横行すれば、子育ての根本的な部分がなし崩しになってしまう。ペネッセ教育研究所が中学生の子どもを持つ母親を対象に行った調査には、しつけに対する母親の意識の変化がよく表れている(『モノグラフ・中学生の世界67号』二〇〇〇年)。

他人の自転車やカサを勝手に使うことについては、九割以上の母親が「絶対にダメ」としている。一方、学校を無断欠席することには九割以上の母親が「絶対にダメ」としながら、約一五人に一人の母親は「仕方ない」とか「かまわない」と許容している。さらに、中学生の子どもがアダルトビデオを見ることには、一〇人中三人強の母親が「たまになら仕方ない」とか「かまわない」と認めているし、学校からのプリントを見せない行為も「仕方ない」と考える母親の合計が六割以上と多数派なのだ。

もちろんこの調査だけで母親のしつけに対する意識が低下していると決めつけることはできないが、おそらく数十年前なら「絶対してはダメ」と考えられていた行為がほとんどだろう。他人の物を勝手に使うような行為は、それこそ「親のしつけ」が問われる。学校の無断欠席を親のほうが「仕方ない」と考えていれば、子どもは真面目に通う気持ちをなくして中学生が友達同士でアダルトビデオを見ても「まあ年頃なんだし、いいんじやない」と認めれば、それでなくても氾濫する性情報にますます子どもを晒すことになるだろう。厳しくしつけたところでどうせ言うことを聞かない、そんなあきらめがあるのかもしれないが、親のなし崩し的な対応から子どもは何を学ぶだろうか。

こんなふうに。親なら当然と思われてきた常識や価値観は大きく変わってきている。親は子どもに手本を示したり、厳しくしっけようとするよりも、子どもに対して友達感覚、同レベルの楽しさを押しつけているように見える。だから、子どもがかわいいのは当然、と同時に、かわいいんだけどついいじりたくなる、ちょっと意地悪したくなる、ツッコミたくなる、といった声もある。二〇代の母親数人と話していたとき、「ウチの子は気分的にいしりやすい」という声がが上がった。どういうことか尋ねると、「ノリに任せてツッコミを入れると子どもの反応がおもしろい。だからついからかいたくなる」のだという。