フランスの少子化対策

「らしい」というのは、私の夫はすでに両親とも他界してしまっているので個人的には私はこの悩み(おっと失礼士を共有していないからだが、フランスでは週末ごとに両親といっしょに食事をする習慣のある人も多いので、これに毎回つきあうのが憂饉になるのだそうだ。「憂饉」などと言ってば罰当たりかもしれない。特に夫婦に子どもがある年齢では、祖父母のサポートがとても貴重だ。子どもを祖父母にあずけて夫婦で旅行に出たりすることも多い。経済力のある親夫婦となると、子夫婦が家を買ったりするときに援助するケースもよくある。フランス人はプライベートを大切にするので、夜は夫婦で過ごし、週末やバカンスは家族で過ごす。働いている親の帰りを待たずに子どもが先に夕食をすることは多いが、少なくとも夫婦はそろって夕食をとる。世論調査などしても、一番大切なものは「家族」と答える割合が八割を超え、それは若い世代でも同じだ。

事実婚、離婚、単親家庭、複合家族家族の形は変わっても、「家族崩壊」というような言葉からはフランスは非常に遠いところにある。夫婦、親子を結び付ける「家族」は崩壊していない、むしろ「家族」はフランス人にとってますます大切なものになっているというのが、私が持っている感覚だ。フランスで従来の家族像(「近代家族」という用語で呼ばれることもある)が壊れ始めたのは、「恋愛結婚」が広くゆきわたり、誰もが「恋愛結婚」するようになったときだった。恋愛の理想を追うと、もう愛がなくなった相手とは結婚をやめて、あらたに「愛する人」といっしょになったほうが良いということになる。個人の愛の外で結婚を支えていた、教会や親族や地域のような伝統的な共同体の影響が薄れていくなかで、そういう個人主義的な愛の理想が、二人になってもやっていける女性の経済力に支えられて離婚を増やしたと言えるのだろうけれども、それは「恋愛結婚」の理想を否定したわけではなくて、むしろ研ぎ澄ましたようなものだ。

個人の外で結婚を支えていた伝統的な共同体社会、教会や職場、親族のような絆が弱くなれば、そういう関係性のなかで自分というものを支えることができなくなる。現代のフーフンスで、恋人と子どもは、ひとりひとりがアイデンティティを確かめる、最後の砦になっているのではないかと思う。職場も安定した場所ではなく、仕事は心のよりどころとならない。フランス人たちは、自分を包んでくれる、幸せの孤島である「家族」を作るために、積極的に子どもを産んでいるのかもしれない。「フランスも70年代以降、少子化に悩んでいたが、少子化対策が功を奏して、これを乗り越えた」新聞などに簡単に紹介されるときは、こんなふうに書かれることが多い。そして目玉の「少子化対策」として、2人目の子どもから一律に支給される児童手当(日本の「子ども手当」のモデル)、出産費用ゼロ、産休の終わりから子どもが3歳になる誕生日まで取得できる育児休暇、その間の所得補償、保育料無料の公立幼稚園、延長保育や保育ママなど託児システムの充実、子どもが3人以上の家庭の交通機関や美術館利用時の割引パスなどなど、さまざまな「政策」が並べられる。

いかにもこれらを打ち出したために少子化を脱したように見える。実際、日本の状況からの類推で、フランスも危機的だった近過去から、官民一致した努力で出生率を回復したというイメージを持っている人は多いのではないか。しかし実際はちょっと違う。少子高齢化が心配されなかったとは言わないが、日本のように「少子化」が大々的に心配されたという印象は、1987年からフランスにいる私は、少なくとも持っていない。第一、「少子化対策」という特別な言葉がない。上に挙げたような施策はみな、「家族政策」という、第二次世界大戦以前からある古い言葉でまとめられている。たしかに「フランスの少子化対策」として挙げられているものは、すべて実際に機能している。だが、それが1970年代以降に、「少子化対策」としてあわてて導入された、というわけではないのだ。

たとえば「子ども手当」のモデルともなったと思われる「児童手当」が導入されたのは、第二次大戦以前の1936年のことだ。フランス独自の政策と云われる「家族指数」(経費その他を差し引いた課税対象額を家族指数で割った数値によって税額が決まるという仕組み)を導入したのは終戦の年、1945年。家族指数は現在でも、税金のみならず、保育園の保育料や学校の給食費などの算出に必ず使われて、子どもの多い家庭を優遇している。フランスで出産費用が全額保険還付になったのも第二次大戦直後のことだったし(妊娠3ヵ月、6ヵ月、8ヵ月の検診を受けることを条件に、出産費用、病院との往復交通費、母と子に対する12日間の医師の監視の費用が含まれるというものだったが、最近、日本と同じような定額の出産一時金に変わった)、子どもを育てる住環境の改善を謳って、経済力の弱い家庭を対象に住宅取得援助、住宅賃貸援助が設けられたのも1948年である。