カタールはフェアな国か

ハリーリーは二〇〇五年にベイルート市内で起きた爆破事件で暗殺されてしまいます。この暗殺事件をきっかけに「杉の革命」と呼ばれる国民運動が始まり、シリア軍をレバノン国内から撤退させました。レバノンは一九七六年から三十年近くにわたってシリア軍が常駐する国だったのです。ハリーリーが亡くなる前までは、国民のほとんどが反ハリーリーでした。ハリーリーの政策で財政赤字が増え、国が莫大な借金を抱えてしまったためです。内戦後、わずかな期間で街がきれいになって復興したように見えたのですが、それはハリーリーの私財でそうなったわけではなく、外国からの借金でやったことでした。それで借金がふくらんだのです。ハリーリーには政策の腐敗もありました。復興計画のなかで土地を売買するときに彼が関わっている会社が指名されたり、政府が公共事業などを民営化するときに、買い取ったのがハリーリーが関係する会社だったりとやりたい放題だったのです。

ところがハリーリーが暗殺されると、さっそく、何の証拠もないのに暗殺の黒幕はシリアだという声が上かって、国が真っ二つに分かれてしまいました。それ以来、ふたたびレバノンの政情は不安定なままですが、それはレバノンの問題というよりも、シリアの問題がレバノンに持ち込まれてきてしまったような状況です。アラビア半島の北東に、アラビア湾に面して突き出た半島があります。カタールです。カタールサウジアラビアと陸路で国境を接し、アラビア湾ではバーレーンの島々と近い位置にあります。世界一、一人あたりの生活水準が高いと言われている国の一つです。一九九五年にいまの首長であるハマドが、実の父親で当時の首長だったハリーファに対してクーデターを起こして政権を手に入れて以来、社会・政治改革を続けてきました。たとえば、女性に選挙権を与えたり、社会進出への働きかけをしてきています。

カタールといえば、衛星放送局「アルジャジーラ」のある国としても知られています。ハマド首長はアルジャジーフの設立にあたって自分の私財を投じています。その結果、アルジャジーフはアラブ全域にわたって影響力を持つ衛星放送局になりました。現在も、毎年、約二〇〇〇万ドルの予算を与えていると言われています。しかし、その投資は価値あるものでした。カタールという小さい国がその国土以上の存在感を持つようになったのは、アルジャジーラがあるおかげでしょう。アルジャジーフの存在は、カタールを仲介役を果たせる国家に見せることにも役立っています。カタールは親サウジ、親米で、今回の「アラブの春」でも、シリアの反政府勢力に武器を提供しています。しかし、アルジャジーラはあたかもアラブ民衆の側に立って「革命」を支持するような報道をしています。たしかにチュニジア、エジプトでの革命ではまさにその通りのことをやっていましたが、先述したようにリビアでの内戦以降はかなり強引な反政府報道に傾いていきました。

では、カタールに「アラブの春」の影響はあったのでしょうか。カタールでも、規模は小さいものの、チュニジア、エジプトに刺激されたデモはありました。彼らが政府に要求していたのは、より幅広い自由がほしいということでした。アルジャジーラは世界から見ると、報道をプロフェッショナルに行う集団で、自由に正しいと思ったことを報道しているように見えます。アルジャジーラの当初のキャッチフレーズは、つねに両方の意見を聞く、というもの気した。そして、それまでアラブの報道にはなかった視点を打ち出して、喝采を浴びました。しかし、アルジャジーフにもタブーはあります。その一つがカタール政府への批判です。実際、アルジャジーフはカタールのことをほとんど報道しません。批判もしなければニュースにもしない。カタールの批判になるようなトーク番組やニュースを意図的に放送しません。そのことについて問われると、アルジャジーラの幹部は「カタールは小さい国だから報道すべきことがない」と答えています。

二〇〇七年にイスラエルの副首相、シモンーペレス(現在は大統領)がカタールを訪問した際にもアルジャジーフはそのことを報道しませんでした。国民がデモで国内で表現の自由をもっと認めることを要求していることも報じません。私たちは、そのデモをユーチューブに上げられた映像で知りました。デモに参加して逮捕された人もいましたが、やがてデモは収束し、民衆の主張はうやむやになってしまいました。いまやアルジャジーラはアラブの有力な情報源です。それどころか、アラブだけではなく、欧米がアラブについて報道するときの情報源になってしまっています。「アルジャジーラによれば」で欧米のメディアは信用性のある情報だとして報道しています。アルジャジープが報じているなら正しいだろう、と裏付けも取らずに速報を出してしまうと、後から訂正しても、最初に流出した情報のほうが信じられてしまうのです。