小沢一郎は何がしたいのか

沖縄、大阪、宮崎での地方分権運動の連携は、かつての「薩長同盟」になりうる。日本人は、陶酔の対象を「坂本龍馬」など美化(誇張)された昔の物語に求める必要はない。明治維新と並ぶ大転換の物語が、今の日本で始まっている。今回は、選挙で選ばれた首長や議員たちがリーダーだが、明治維新のリーダーたちは選挙で選ばれたわけではない。その意味で、今の日本で展開している地方分権革命は、明治維新よりフランス革命に近いかもしれない。日本でもようやくフランス革命型の民主的な、下からの体制転換が起こりうる状況になった。

2009年9月、日本で民主党政権ができて「東アジア共同体」とか「対等な日米関係」「国連重視」など、国際情勢分析をしている私から見て非常に気になるキーワードを使い出した。私は、民主党がこれらのキーワードを使う背景に何かあるのか、自分なりに調べた。すると、民主党ウェブサイトから、私に驚きを与える戦略草案が2種類見つかった。一つは1999年から4次にわたって改訂されてきた「民主党沖縄ビジョン」であり、もう一つは2004年6月に発表された憲法改定の起案書「憲法提言中間報告」だった。この2つの文書は、民主党を事実上率いてきた小沢一郎が、どのように日本を変えていきたいかを示す重要文書である。小沢が権力を握っている限り、この2文書が示す方向に日本を持っていこうとするだろう。その意味で、2文書に対する分析が重要である。

まず、沖縄ビジョンについて説明する。最も新しい沖縄ビジョンは08年のものだが、これは鳩山(当時は幹事長)自らが「政権をとったらすぐに使えるように改定した」と言っているように、過激だった05年の沖縄ビジョンの言葉を曖昧にしたものである。05年の民主党沖縄ビジョンの行間から湧き出てくる方向性は「沖縄独立」である。05年の沖縄ビジョンでは、まず琉球王国、島津侵入、琉球処分、という沖縄の歴史を紹介している。(以下、私なりの説明)沖縄では明代初期の1372年に琉球王国が建国されたが、王国は最初から中国の冊封国(属国)で、明の海外貿易の一部を代行して経済利得を得るために沖縄は統一王国になった。江戸幕府ができた直後の1609年に鹿児島藩(島津氏)が攻めてきて征服され、琉球は中国と鹿児島藩(日本)の両方の属国になる「両属」の状態となった。明治維新後の1879年、日本はアジア進出の第一歩として、琉球の両属状態を拒否し、琉球藩を廃止して沖縄県を置き、完全に日本の国内化する「琉球処分」を行った。

05年版民主党沖縄ビジョンは、こうした沖縄の歴史を簡単に綴った後、沖縄は中国などアジアとの深いつながりを利用した日本の先端モデル地域になれると書いている。そして、その具体策のキーワードとして「自立・独立」「一国二制度」「東アジア」「歴史」「自然」を掲げる。「独立という言葉を使ったのは、日本からの独立という意味ではない」と書いているが、私には「沖縄は経済面で日中両属(一国二制度)に戻り、琉球処分以前のように、日本本土とは異なる手法で、中国や東南アジア諸国との経済関係を築いて発展せよ。そうすれば、米軍が去った後の経済損失を埋めて余りある」と読める。沖縄の歴史を知る人は、私と同じことを感じると思う。だから、この沖縄ビジョンは右翼から「民主党は沖縄を中国に売り渡そうとしている」と批判された。

最近まで、日本人(本土の人)が沖縄人(沖縄県民)に「両属」に戻ることをそそのかすのは、沖縄人にとって「いえいえ、何をご冗談をおっしやっているのですか」と答えねばならない危険な「踏み絵」だった。私自身、沖縄の老知識人に独立心について尋ねて「本土の人はすぐ煽るので困る」とたしなめられたことがある。だが、言語的に見ると、日本語には「やまと語」や「沖縄語」「アイヌ語」があるといわれている。沖縄語は「方言」ではなく、本土の言葉とは別の沖縄語だということだ。沖縄はもともと、日本(やまと)とは別の存在なのだ。沖縄とやまとを合わせたのが日本だとも言える。