貸出能力が過度に萎縮

国際的に妥協が成立し、「第一次」の自己資本には払込済資本金や準備金のみを計上するが、日本の場合、保有有価証券の未実現キャピタルーゲインの四五%を「第二次」自己資本に算入することが認められるようになった。当時国際業務の拡大に注力していた邦銀をこの国際的ルールに参加させるには、この種の妥協が必要だったかもしれず、この難しい妥協を成立させた関係者の努力は多とするが、このルールは、景気のサイクルを不必要に増幅するように作用することとなった。すなわち、好況時には株価も高騰するから、邦銀の自己資本は拡大しやすく、貸出能力が実力以上に大きくなり、安易な貸出を助長しやすい。逆に、不況時には株価が低落し、邦銀の自己資本が収縮するから、貸出能力が過度に萎縮し、貸出態度を必要以上に制限的にする。

また、銀行が自己資本規制を守ることを容易化するため、株価を下げたくない、という考えも強くなったのではないだろうか。世にいう株価支持操作(俗称PKO)が、私の邪推するごとく、銀行の立場への配慮を一因としたものであったとすれば、銀行を助けようとした操作が、わが国株式市場のプライスーメカニズムに対する内外投資家の信認を損なう結果となってしまった、といえるかもしれない。

九一年六月四日、大阪で開かれていた国際金融会議で講演したとき、私は、右のような理由から、「払込済資本と準備金だけを自己資本と考えるべきであり、銀行の自己資本の評価が株価の変動で左右されるようであってはならない」と論じた。しかし、私のやや遠まわしの発言は、まったく無視されたまま今日に至っている。なお、BISの銀行監督委員会では、その後、マーケットーリスク(銀行がトレーディング業務を通じて負う価格変動のリスク)に対応する自己資本として短期劣後債の発行を認め、これを「第三次資本」とし、遅くとも九七年末までにはその適用を開始しようとしている。

信用秩序の番人としての国際協力の第二の側面は、「最終の貸手」としての機能である。中央銀行の「最終の貸手」としての機能は、元来は、国内に所在する当該国の銀行に流動性上の問題が生じた場合、これに対して国内通貨の最終の貸手となることであったと思われる。しかし、金融の国際化、自由化が進展した現在では、国内における自国の金融機関(銀行だけでない)だけでなく、国内に在る他国の金融機関、他国に在る自国の金融機関、他国に在るが自国通貨で流動性上の間題の生じている他国の金融機関についても、「最終の貸手」として機能しなくてはならない可能性もありえよう。このように考えると、「最終の貸手」としての国際協力においては、その通貨の国際的利用度が高い国(米国など)の中央銀行と、その国の金融市場が国際的な金融センターとなっている国(米国、英国など)の中央銀行とに、より多くの責任と負担が求められることにならざるをえまい。