行政の情報公開等

いまさら、というべき規定である。情報公開法のモデルとされる米国の情報自由化法が成立したのは。九六六年七月四日の米国の独立記念日だった。その後、先進各国で同様の法律が次々に誕生した。

日本でも、地方レベルでは山形県金山町が一九八二年三月十九日に、神奈川県が同年十月十四日に、それぞれ情報公開条例を制定したのを手始めに、一九九八年十一月現在で全国の五百八十自治体が制定している。

しかし、国レベルの情報公開法が一九九八年末でも未成立なのは、同法ができると都合の悪い官僚たちの激しい抵抗とそれに同調する自民党の消極的姿勢のためだった。国のレベルで具体的な政治課題として動き出しだのは、社会党(当時)の村山富市首相率いる連立内閣が一九九四年十一月に、行政改革委員会を設置し、その行政情報公開部会が情報公開法の下敷きとして「情報公開法の要綱案」を一九九六年十一月に発表してからだった。

政府は、一九九八年の通常国会に、要綱案を具体化した情報公開法案を提出したが、国民の知る権利をうたわず、情報公開を拒否された場合に訴えることのできる裁判所を事実上東京地裁に限り、問題の多い特殊法人を対象から外し、手数料もあいまい、など多くの欠陥があった。

これに対し、野党側から一石の対抗案が議員立法で提案され、こうした欠陥の是正をねらったが、官僚の抵抗は続き、その意を受けた自民党は修正協議で腰が引けており、通常国会はおろか、その後の臨時国会でも同法案はたなざらしに終わった。基本法は、情報公開について「制度の確立及びその適切な運用の確任のため必要な措置を講ずるものとする」と述べているだけで、国民の知る権利に言及をさけるなど、要綱案から一歩も進んでいないお粗末なものである。