自給自足できる国はわずかである

世界の製造業を見渡して、どこでどの企業がどんな性能の部品を製造しているかという情報を握っていれば、それを念頭において、完成品の設計が出来る道理である。大衆的な製品であれば、これで十分に競争力のある商品を開発できる。

「日本経済の混迷を解く大予言」で、私はその歴史的意味を述べたが、このような設計手法は、とりわけ台湾の企業が得意である。二一世紀の製造業で、このような傾向が加速されることは疑いない。そういう時代になると、国産品愛用運動などは無意味となってしまう。自分の国で完成品が設計され、組み立てられたとしても、その部品や素材の多くが外国製品であれば、それを愛用したところで、外国製部品や素材を愛用していることに他ならないからである。
 
航空機でも、コンコルドボーイング767あたりから、アメリカ、イギリス、フランスなどでも、もう一国の企業では、その膨大な開発費を賄えず、共同開発の段階に入っている。今でこそ中国は、マグダネルーダグラスのMD90シリーズの下請け加工をやっているが、それを通じて技術力を高めており、遠からず世界の新しい旅客機の共同開発に参加するようになるだろう。
 
エネルギー資源でも食糧資源でも、自給自足できる国はわずかである。日本のエネルギーや食糧の自給率はきわめて低く、リスクは高いが、今では日本だけがとりわけリスクを背負っているわけではない。シンガポールでは、主食や石油はむろんのこと、野菜や肉・魚類、水さえも、すべて輸入に頼っているが、二一世紀の世界では、発展途上国の工業が発展し生活水準が向上し、食生活が多様化するにつれて、多くの国がシンガポールのような状態に近づいて行くことだろう。